前回、「意識をめぐる、私の長い散歩」という4回シリーズを書き終えました。
自分の中で長い間温めてきたけれど、表現するのが難しいテーマでした。それをスムーズに書き上げることができたのは、AIとの共同作業があったからです。
ここでは、AIを4か月使ってみて改めて感じていることをお伝えするとともに、AIを使うことに不安をお持ちの方にも、少し違った見方が伝わればと思います。
「壁打ち」の効果を実感
シリーズを書き始めるとき、私はAIに相談してみました。「”意識が現実を創る”、というテーマで書きたいのですが」と。
AIから返ってきたのは、書き出しの案でも構成案でもなく、次のように問いかけられたのです。
「心の持ちようが変わった、その具体的な体験を思い出してみてください」と。「こういうテーマには、たいてい具体的な場面がくっついている。その核がないまま抽象論だけで進めると、どこかで読んだような一般論になってしまう」
そして、記憶を掘り起こすための問いを、いくつか出してくれました。
私にとって、AIからのこの提案はとても新鮮なものでした。「一緒に土台を掘り起こしましょう」と言われたのです。
そして、AIからの問いに、日にちをかけて古い記憶を思い起こし、その時の自分の感情や思っていたことを書いているうちに、自分の伝えたいことが頭の中で整理されてくる。その後、問いの答えをAIに投げかけ、AIから出された構成案について、自分の考えを伝えて何度かやりとりをして仕上げていく。いわゆる「壁打ち」というものでしょうか?
AIを駆使されている人は、この「壁打ち」をよく行なっていらっしゃるようですが、この工程で思考が深掘りされていくのがよくわかりました。
0から10、10から50、50から90、90から100
そして、AIと何度かやりとりを重ねるうちに、どのようにAIの力を借りつつ、自分の個性も十分に出せるのかが見えてきました。
数字で書くとこんな感じです。
0から10 ——最初のひらめきとざっくりした構成案。これは私が出すか、あるいはAIに提案してもらうこともあります。
10から50——テーマと方向性が決まり、AIからの問いに対する答え(考え)を、数日かけて寝かしながらまとめる。
50から90 ——ここはAIの力を大いに借りる領域。AIとのやりとり(壁打ち)を通して内容を深め、言語化していく。
90から100 ——最後に、文章に魂を込めて、自分がしっくりする内容、文章に修正する。
どの段階も大事なのですが、10から50と最後の10の段階で丁寧に向き合ことは、自分らしさを出すために必要不可欠だと思います。
AIが書いてくれた叩き台の文章は、驚くほどよくまとまっています。しかしよく読んでいくと、AIらしい言い回しがあったり、ひらがなにするか漢字にするかの選び方、読点の打ち方が、自分の文章とは少し違ったりする。
これは良し悪しの問題ではありません。ただ、自分の個性を文章に残したいという思いがあるのです。だから最後は、必ず自分の手で整えます。
「種」は自分が持っていなければならない
もうひとつ、はっきり感じたことがあります。
書きたいことの「種」は、自分が持っていなければならない、ということです。
これがないと、どれだけAIが上手にまとめてくれても、結局はネット上の情報を集めて整えただけのものになってしまう。
一度それを痛感した経験があります。AIと相談して記事のテーマを決めたのですが、選んだあとで、実は「あまりピンと来ない」という感覚がありました。そのまま進めてみたものの、最後までその感覚は消えず、結局は方向を変えることになりました。
種がないところに記事は育たない。当たり前のようですが、実際に体験して初めて分かったことでした。
宿題方式という発見
シリーズを書く中で、私にとって便利な方法を発見しました。「宿題方式」です。
方法は次のとおりになります。次回書く記事のために、AIからいくつか問いを出してもらう。それをゆるりと頭の片隅に数日置いておくような感じで、ふと思いついたことをメモしておく。問いの答えがまとまってきたら、その答えをAIに投げかける。
以前は違う方法をとっていましたが、段々と変えていきました。一番最初の頃は、自分でほぼ全部書き上げて、AIに意見を聞くというもの。それでも良いのですが、巷でよく言われる、”AIを活用する”、という方法ではないのでは?、と思っていました。
その次は記事の構成案をAIに提案してもらい、その場でAIの質問に答えながら記事の案を示してもらう、という方法でした。AIの文章作成の速さと文章の完成度に非常に驚きました。しかし、その場でAIから質問された内容に対して答えることは、私にはかなり集中力を必要とする作業でした。頭がすっきりしている時でないと取り組む気になれず、つい後回しになってしまいました。
また、記事を書き終えたあとで「そういえば、こういうこともあったな」と思い出すことがあり、せっかくの貴重な記憶を取り入れないまま完成させてしまうのは、もったいないと感じていました。
そこで次に考えたのが「宿題方式」です。AIからの問いを日にちをかけてゆっくり考える。これは、若い頃に職場の先輩から教わった方法に似ていました。
「資料はある程度仕上げたら、2〜3日寝かせるといいよ。寝かせている間も頭のどこかで考えている。だから、ふと良い考えが浮かんでくる」と、アドバイスをいただいたのでした。
閃きというのは、机に向かって唸っているときより、ぼうっとしているときにやって来ます。つまり、問いを一度、潜在意識に置いて、そこで日にちをかけて熟成させ、顕在意識に浮かび上がってくるのを待つ、というイメージです。実際に脳の中でそう働いているのかは分かりませんが、私はこの方法が結構気に入っています。
右脳の力
AIの処理速度や推論の速さには驚かされることが多く、左脳的な領域では全く敵わないと感じています。
しかし、同時に面白いことに気づきました。
AIの書いた文章を読んでいて、「あれ?」と思うことがあるのです。ここの論理は全体の流れから少しずれている。相手を傷つけないよう気を遣った表現が、かえってそのことを気づかせてしまっている、というようなことがありました。思考が表面を滑っているような感じです。
こういうことは、読んだ瞬間に違和感として直感で分かるのです。
違和感を一瞬で感じるスピード、人間のこの右脳的な能力は、なかなかのものだと思います。AIを使うようになって、人間の潜在的な力を改めて実感するようになったのは、思いがけないことでした。
何を選び取るか
AIには、膨大な情報が集まっています。人が書き残してきたものを大量に学んでいるからです。
ただ、その中には偽の情報も、偏った内容も含まれています。ハルシネーション——AIがもっともらしい嘘を作り出してしまうこと——があることも、使い始める前から知っていました。
ですから私は、最終的なチェックと判断は必ず自分で行う、というスタンスで向き合ってきたつもりです。
その上で思うのは、膨大な情報の中から何を選び取るか、ということです。
私たちの成長や幸せに役立つものを「叡智」と呼ぶのなら、私はその叡智と呼べるものだけを選んで、活用していきたいと思っています。
これは以前、精神世界の本を読み続けていた頃と、同じことかもしれません。あのときも私は、玉石混交の情報の中から、自分の感覚を頼りに選り分けていました。道具が変わっても、やっていることは変わらないのだと思います。
AIは、人の写し鏡
AIを日常的に使い始めて、4か月の間に感じたことは、AIの力を活用することで、これまでできなかったことができるようになる分野がかなりあるのでは、ということです。実際、私は今、別の分野でWordPressでホームページを作っていますが、自力では難しかったと思います。
そして、もうひとつ。
「出会う人は自分の写し鏡である」という言葉があるように、AIもまた、「人の(あるいは人類の)写し鏡」ではないでしょうか。
善意で向き合えば善意が返ってくる。悪意を向ければ、おそらくそれ相応の結果が返ってくる。結局のところ、AIは人が書き残してきたものが集積されたものだからです。
だとすれば、AIをどう使うかという問いは、そのまま「人はどうあるべきか」という問いになると思います。
「技術の進歩に人の成熟が追いついているか。」技術そのものに善も悪もありません。それをどう使うかを決めるのは、いつも人間の側です。
だからこそ、その意図に愛があるかどうか——この問いを、AIと付き合う上での羅針盤にしたいと思っています。
人類が積み上げてきた知恵を、私たちが幸せになる方向に使っていけるようにと願いながら、AIと向き合っていきたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

