意識をめぐる、私の長い散歩(3)心が軽くなっていった

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心が軽くなるまでの道のりは、劇的なものではありませんでした。玉ねぎの薄皮を一枚ずつ剥いていくように、少しずつ、少しずつという、地道なものでした。

それでもある時期から、ふっと心が軽くなり、空の色や木々の緑の輝きが違って見えるようになりました。

「意識をめぐる、私の長い散歩」第3回は、いちばん苦しかった時期と、そこから抜けていった日々のお話です。


2020年頃のことです。

社会の中で、人々の考え方が大きく二つに分かれていくような時期がありました。何が正しいのか、誰の言葉を信じればいいのか。同じ出来事を見ていても受け止め方はまったく違う。そんな空気が、少しずつ日常に入り込んできました。

私自身にも、とても辛いことがありました。詳しくは書きませんが、それまで長い時間をかけて積み上げてきた関係性や信頼感が、音をたてて崩れてゆく——そんな感じでした。

何が起きているのか分からないまま、ただ足元が崩れていく。あの感覚は、今も言葉にするのが難しいです。

それまでの方法では、追いつかなかった

その頃の私は、全く無防備だったわけではありません。

瞑想も、自己ヒーリングも、チャクラを整える方法もそれ以前に学んでいました。心を穏やかに保つための手立てを、自分なりに持っているつもりでした。

けれど、追いつかなかったのです。

どれだけ静かに座っても、どれだけ整えようとしても、苦しさは戻ってくる。手立てを持っていたはずなのに、それでは届かない場所に痛みがある。そのことに、私は途方に暮れました。

なぜ、ここまで苦しいのだろう。

その問いを抱えながら、私はまた答えを探し始めました。

藁にもすがる思いで

そうして探すうちに、「心のブロック解除」という手法を知りました。潜在意識に書き込まれた思い込みを、書き換えていくという考え方です。

正直に言えば、その方法が効果があるのかどうかはわからない。悲痛な思いで、効果が有りそうなものなら何でもやってみよう——そんな気持ちで学び始めたのです。藁にもすがるという言葉が、いちばん近かったと思います。

潜在意識について学ぶ中で、量子力学の本も何冊か読みました。

玉ねぎの薄皮を剥くように

それは、”劇的に変わった”、という物語ではありません。

ある日突然すべてが晴れた、というようなことは、私には起こりませんでした。実際には、玉ねぎの薄皮を一枚ずつ剥いていくように、少しずつ軽くなっていったのです。

一枚剥いても、まだ次の皮がある。剥いたという実感すらないこともある。それでも続けていると、あるとき「そういえば、前より楽になったな」と気づく。その繰り返しでした。

この過程で、上手く言葉にできない、とても個人的な出来事もいくつかありました。人に説明しようとすると、どうしても言葉が足りなくなってしまうので、ここでは書きません。ただ、心の奥深いところで長く抱えていたものが外れ、ほどけていくような感覚がありました。

その後、少し時を経て、急に景色が変わりました。

空の色。木々の緑。それまでと同じはずの風景が、違って見えるのです。 ”明るい”と感じました。世界が明るくなったのか、私の目が変わったのか。おそらく、後者なのでしょう。

そのとき、体感としてはっきり分かったことがあります。

私がずっと苦しかったのは、自分の心が何かに強く執着していたからだった、ということ。手放せずに握りしめていたものがあった。それがふっと外れた瞬間、こんなにも軽くなるのか——と、頭ではなく身体で理解しました。

もちろん、これは私の場合の話です。苦しみの理由は人それぞれですし、「執着を手放せば楽になりますよ」などと言うつもりは全くありません。ただ、私に関して言えば、そうだったというだけのことです。

音が、助けてくれた

この時期、私を助けてくれたものが、もうひとつあります。それは音でした。

ある音響楽器の音に、たびたび助けられました。その音を聴いていると思考が止まるのです。頭の中のおしゃべりが静かになり、無になっていく。そして、湧き上がってくる不要な感情が、少しずつ昇華されていくような感覚がありました。

考えて解決しようとしても、どうにもならないことがあります。そういうとき、思考の外側からアプローチできる物があることは、私にとって大きな助けになりました。

気づけば、読む目的が変わっていた

ずいぶん後になって、気づいたことがあります。

二十代の頃、私が本を読んでいたのは、「人はなぜ生まれてくるのか」「どう生きればよいのか」という答えを探すためでした。自分の外側に答えを求め、探し続けていたのです。

けれども、この時期に潜在意識や量子力学の本を読んでいた私は、全く違うことを求めていました。自分が望む人生を送るために、意識をどう使えばよいのか。問いが「なぜ」から「どう使うか」へと移っていました。

いつ頃からそう変わったのかは、自分でも分かりません。ただ、後から振り返ってみた時に気づいたのでした。

そしてこの問いは今も続いています。日々、自分の心の状態を見つめながら意識をどう使うか。心が揺れることの多い昨今の社会情勢です。何かあればここに立ち返ることを忘れないようにしたいものです。

次回はこのシリーズ最終回。今私が思っていることを、お話ししたいと思います。