「デジタルとアナログ、どちらも大切にする暮らし」 〜パソコンも、20年書き続けたノートも〜

デジタルとアナログ、どちらも大切 暮らし・住まい

パソコンやスマホでデジタルライフを楽しみながら、紙のノートに手書きすることも、私には欠かせません。

便利さと、手を動かす豊かさ。どちらか一方ではなく、その両方を味わいながら過ごす日々について、今日は綴ってみたいと思います。

20年近く書き続けてきた小さなノートのことも、少しだけお話しします。

デジタルが日常に溶け込んでいる

朝、パソコンを開いてメールを確認し、気になることがあればAIに質問する。情報を集め、ブログの記事を書く。クラウドに保存しておけば、外出先でもスマホから見返せる。そんなデジタルの便利さは、今では私の暮らしにすっかり溶け込んでいます。

調べたいことがあればすぐに答えにたどり着けて、書いた文章は何度でも書き直せる。離れた場所にいる人とつながることもできる。こうした恩恵を、私は日々ありがたく享受しています。

便利さを楽しみ、新しい道具を自分なりに使いこなしていく。その面白さは、年齢を重ねても変わらず、むしろ増しているように感じます。

それでも、紙とペンを手放さない

一方で、私には紙のノートに手書きすることが欠かせません。

ここであえて「手放せない」ではなく「手放さない」と書きました。仕方なく続けているのではなく、自分の意志で選び取って続けている。その感覚が、私にはしっくりくるのです。

読書の途中で心に残った一節。ふと頭に浮かんだアイデア。妙に印象に残った夢。そして、ただ思いを整理したくなった日のこと。そうしたものを、私は小さなノートに書き留めてきました。かれこれ20年近くになります。

アナログにしかない「偶然の再会」

手書きのメモには、デジタルにはない良さがあります。

ひとつは、一目でパッと読めること。ページをめくるだけで、検索するよりも早く目当てのものにたどり着けることが、案外多いのです。

そしてもうひとつ。何年も前に書いたメモを、ふと目にする瞬間があります。そのとき、思いがけないシンクロニシティのようなものを感じることがあるのです。あのとき書いた言葉が、今の自分にぴたりと響く。そんな偶然の再会に出会うたび、右脳が活発に働くような、不思議な感覚に包まれます。

ランダムに書き留めてきたからこそ訪れる、この偶然。整然と検索できるデジタルとは、また違った豊かさがそこにあります。

使い分けの基準は「向き合い方」

では、デジタルとアナログを、私はどう使い分けているのか。

じっくりと向き合いたいとき——瞑想に近いような、静かな心持ちのときには、ノートとペンを手に取ります。読書メモ、ひらめいたアイデア、気になった夢。そうした自分の内側から生まれるものは、手を動かして書き留めるのがしっくりきます。

一方、パソコンでの作業が必要なものや、後からスマホでも見返せるようにしておきたいものは、デジタルへ。AIとの会話、情報収集、ブログ執筆などは、クラウドに保存しておくと安心です。

左脳と右脳のように、どちらが優れているというものではありません。両方をバランスよく使えること。それが私にとって、心地よいあり方なのだと思います。

激変の時代を生きてきたから

若い頃、身近な人が「これからはワープロの時代だ」と、新しい機械を習いに行くのを誇らしげに話していた——そんな時代でした。

仕事で扱う文書も、かつてはすべて手書きでした。やりとりする情報量も、今とは比べものにならないほど少なかったのです。それが数十年で、パソコンが一人一台になり、日々膨大な量の文書がネットワークを通じて届くようになりました。

この劇的な変化を、肌で知っている。手書きの時代も、デジタルの時代も、どちらも自分の手で生きてきた。それは、ある世代から上の人たちに与えられた、ささやかな財産なのかもしれません。だからこそ、両方の良さを知っているのだと思います。

まとめ

デジタルとアナログ。私にとってそれは、どちらかを選ぶという話ではありません。

便利さを求めるならデジタル、じっくり向き合いたいならアナログ。そんなふうに場面で使い分けながらも、根っこのところでは、どちらも同じくらい大切にしています。効率のよさも、手を動かす豊かさも、どちらも手放したくないのです。

デジタルの恩恵を十分に享受しながら、アナログの良さも大切にする。両方が自然にそこにある。それが、私にとっていちばん心地よい暮らし方なのだと思います。

あなたは、デジタルとアナログ、どんなふうに付き合っていますか。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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